原案Tの紀行文
■中村一氏飛躍の地 岸和田紀行 中編―蛸地蔵(たこじぞう)の話―時はさかのぼって建武の新政の頃(14世紀なかば)に地震が起こり大津波が押し寄せてきました。しかし、なぜか岸和田の辺りは被害がほとんどありませんでした。人々が不思議に思って海辺へ出てみると、そこには蛸とともに地蔵菩薩像がありました。このお地蔵様が岸和田を守ってくれたに違いない、と人々は像を城内にまつって厚く信仰しました。 しかし月日は何百年と流れ戦国時代、地蔵のご利益も人々は忘れ去っていきましたが、それでも誰かが戦渦から避けようとしたのでしょうか、地蔵像はついにお堀のなかへと隠されました。 そして1584年、根来衆の大軍に囲まれた岸和田城に、突然海から光り輝く白法師が現われ、攻めかかる軍勢のただなかへと進んでいきました。 驚いた根来衆の兵士たちは白法師を取り囲み、一斉に斬りかかろうとします。 あやうし白法師。 とそのとき、今度は海から無数の蛸の大群が現われ、根来衆に襲い掛かりました。 この出来事には兵士たちもたまらず、ほうほうの体で逃げ出してしまいました。 こうして岸和田城の「中村さん」は危機を脱したのですが、その後夢のお告げで白法師の正体が地蔵菩薩であることを知り、「中村さん」は堀に隠してあった地蔵像を取り出し、また手厚くまつる事にしました。 その後、お地蔵様を町の人たちも拝めるようにと安置されたのが、岸和田城からほど近いところにある『天性寺』というお寺で、お地蔵様は「蛸地蔵」の名で親しまれ現在まで人々の信仰を集めているそうです。 この伝承は、戦国時代というそれなりに文献が残され時代にしては、かなりファンタジーな、、、大胆なお話だと思います(笑) しかしこんな一見非現実的なお話にも、14世紀の地震の話など実際に起こった出来事を素にしている節もありますから、本当に蛸がたくさん浜にうち上がったような出来事もあったのかもしれません。 仏の加護によるかのように素晴らしいものであったことを物語っているような気がしてなりません。 「中村さん」はこの後、近江の国水口へ4万石の領主として移っていきました。 つまり、岸和田での功績により「中村さん」はいよいよ大名への仲間入りを果たしたわけですから、ここはまさに飛躍の地と言えると思います。 文/原案T |