トップページ > 米子城の年表
■15世紀後半
■吉川時代
■中村時代
■加藤時代
■その後
15世紀後半 |
この頃、飯山山上に城が築かれたとされる。 |
■吉川時代
1591年 |
吉川広家、米子城天守閣の建築にとりかかる。 朝鮮出兵などで城の工事は途絶えがちになるが、どうにか天守閣だけは完成する。 |
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1600年 |
関ヶ原の戦いおこる。 吉川広家は未完成の米子城を残し、改易となった主家の毛利氏に従って周防岩国へと移る。 |
■中村時代
1600年 |
中村一忠、駿府より十八万石で米子藩主となる。 | |
→ [米子城築城編] | ||
1602年 |
吉川時代の四重櫓の隣に四層五階の天守閣が完成する。 | |
→ [内膳風雲編] | ||
1603年 |
米子騒動起こる。 | |
→ [米子騒動編] | ||
1609年 |
中村一忠、急死。一忠に嗣子なしとして、中村家は断絶。 |
■加藤時代
1609年 |
加藤貞泰、六万石で米子に入る。 | |
1615年 |
大阪夏の陣にて、豊臣家滅亡。 この頃、中江藤樹、祖父に付き添い米子へ移る。 |
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→ [藤樹くん登場編] | ||
1617年 |
加藤貞泰、六万石で伊予大洲へ移る。 | |
→ [藤樹くん望郷編] |
■その後
1617年 |
姫路池田氏が鳥取へ移封となり、米子城は家老の「池田由之」の預かりとなる。 2年前に一国一城令が発せられていたが、米子城は破却の対象とはならなかった。 |
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1632年 |
鳥取藩・岡山藩国替えにより、米子城は家老の「荒尾成利」の預かりとなる。 以降、荒尾氏が代々の米子城主となる。 |
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1875年 |
城は払い下げられ、その後風呂屋の焚き木になる。 ※諸説あります。 |
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