米子歴史浪漫プロジェクト


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制作日記

原案Tの紀行文

■中村一氏飛躍の地 岸和田紀行 前編

岸和田に中村一氏(「中村くん」のお父さん。以下「中村さん」とします)の事績が残ると聞いて訪ねて参りました。
この地での「中村さん」の活躍がなければ、米子城主「中村くん」も存在しなかったであろう重要なスポット、岸和田。。。
なのに今回の調査の旅もすんなりとは行きませんでした(笑)

岸和田といえば『だんじり祭』で有名ですが、これには「中村さん」は特に関係なく、江戸時代岸和田藩のお殿さんだった岡部さんの頃に始まったものだそうです。

では、「中村さん」はこの地で何を為したのか?

3層3階建ての立派な天守閣があります。
これは戦後再建されたもので、もともとの天守閣は江戸時代はじめに建てられ当事は5層の大変立派なお城だったのですが、江戸時代の終わりの頃落雷による失火で焼け落ちてしまったそうです。

そのもともとの天守閣を造ったのは「中村さん」の次のお殿さんの小出さんです。
これも「中村さん」じゃありません。
「中村さん」が活躍したのは天守閣ができる前の、岸和田城での出来事です。
1583年、秀吉の部将であった「中村さん」は紀伊根来寺を根拠とするいわゆる『根来衆』への抑えとして岸和田城に入りました。

泉南地方にいくつもあった根来衆の出城に睨みを利かせる、「中村さん」と岸和田城。
ですが、1584年小牧長久手の戦いが起きると、根来衆は徳川方に呼応し3万の大軍で秀吉不在の大阪城へと進軍を開始しました。
最初の攻略目標となったのはもちろん岸和田城。
守備側の中村さんはもよく守るものの、周辺はすべて根来側に征圧されいよいよ岸和田側の敗色濃くなってきたところ・・・
凄い事が起きます。

岸和田城

文/原案T