原案Tの紀行文
■中村一氏飛躍の地 岸和田紀行 後編というか+αのお話。この日は岸和田のついでに堺にも訪れ、蘇鉄の寺として名高い『妙国寺』に立ち寄りました。「中村さん」ではなく、米子の城と町を作った人、「横田内膳」こと『横田村詮』について何か知れないかと思い妙国寺を訪ねたのですが。。。 妙国寺を開山されたのは『日珖上人(にちこうしょうにん)』で、堺の商人出身の人物です。 そして当時畿内に勢力を伸ばしていた三好家の「三好之康(戦国好きの方には「三好義賢」と言った方が伝わるかもしれません)」が日珖上人を深く信奉して日蓮宗に帰依し、『実休(じっきゅう)」』と名乗ります。 実休さんは一族にも、日珖上人と日蓮宗への帰依を勧め、当時は実休さんのいとこに当たる人物に仕えていた「横田村詮」が日珖上人から受法し日蓮宗の信徒となったのは、そういう流れを受けてのことの様です。 その後、横田内膳は米子に来てから、寺町にあります『妙興寺』を開山した日逞上人と出会います。 日逞上人は日珖上人のおじにあたる人物で、その縁に感激した内膳は妙興寺に多くの寄進を行ないます。きっと内膳の胸中には若い頃の堺周辺での思い出が渦巻いていたことでしょう。 またその縁で横田村詮が亡くなってからは妙興寺に葬られることになります。 本堂と庭のソテツ。 お寺では鐘楼など一部の施設が工事中でした。工事現場の足場をみて一瞬「天性寺の二の舞か!」と戦慄しました(笑) 妙国寺にいたお寺のガイドさんは、盛んに『蘇鉄』の話と幕末に土佐藩士が寺で切腹することとなった『堺事件』の話をされるのですが、(それをさえぎって(汗))日珖上人と実休、さらには千利休や時々の権力者など妙国寺に訪れた人々の関わりも多く聞くことができて、大変興味深かったです。 また資料室には日珖上人と実休ゆかりの品も多く展示されていて、「これらが横田内膳と同じ時期同じ場所にあった品々か!」と思い、ほかの展示物そっちのけで食い入るように眺めてしまいました(笑) 妙国寺には歴史と庭のソテツの風景が織り成す独特の雰囲気があります。 自分は、横田内膳と同じ時代の空気を感じられたような気がして、この訪問がとても良いものだったと思いました。 文/原案T |