チャリポタの絵物語
久米城の謂れ(いわれ)その5:お久米がさらわれた
米子城の人柱伝説は、戦国時代の話です。
伝説では、お久米はさらわれて人柱にされたと伝わっています。
それは夏の盆踊り最中の出来事で、まわりには大勢の人がいたはずです。
マンガ:お久米をさがせ
お久米は、見つかりましたか?
すぐには見つけられなかったのではないでしょうか。
大勢の人にまぎれて、犯人の顔も目撃されていません。
娯楽のない昔は、盆踊りはロックコンサートであり、ディスコであり、合コンでもありました。
父なし子ができても、ああ夏祭りがあったからねと許されるほどだったようです。
若い娘が夜更かししてもすぐには騒がれず、人さらいにとっては好都合の日ですね。
恐ろしい人さらいがあったにもかかわらず、米子の盆踊りは、伝統行事として現在も続けられています。
米子の盆踊りの歌は、大阪の盆踊りに調子が似ているそうです。
米子城を建てた中村一忠の父、中村一氏は岸和田城主の時代もあったので、その名残りでしょうか。
写真:民俗芸能米子盆踊り
原案のT氏が、この写真を携帯カメラで撮っていた時の事です。
今年は見るだけにしようといっていたはずのお祖母さんの姿が踊りの輪の中に・・・
昔の人はやっぱりパワーが違いますね。
次回に続く。
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文・イラスト/チャリポタ
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絵物語は、チャリポタが創作した物語(フィクション)です。