米子歴史浪漫プロジェクト


トップページ米子城って? > 第一話 米子城登城の巻・・・初編

米子城って?

米子城登城の巻 ~初編~

なか:「ワシらは、在りし日のお城の姿を思い浮かべながら、本丸への道を登ったのじゃ・・・」

中村くん

国道9号線から一本入り、湊山球場の横道を進んだところに、現在の米子城の大手門(正門)とも言うべき枡形門跡があります。
往時の「大手門」は、今は跡形もありませんが、当然内堀沿いにあったわけです。
内堀はこの位置より城山と反対方向に100mほど行ったところに掘られていたようなので、大手門もその付近にあったと考えられます。
(余談ですが、市内に住むご老人達が「そこらへんには内堀があった、あった」と見てきたように話すのを耳にします。
果たしてご老人の若かりし頃、昭和初期には内堀が残っていたのでしょうか?・・・
そこら辺はリサーチ不足でわかりません。すみません(謝))

大手門

さて、案内看板の横目にしながら枡形にはいると、そこは石垣に囲まれた四角い空間になるわけですが、ここの枡形は広くキレイな四角形をしていて、他所の城跡と比べても立派な印象があります。
戦ともなると、城の攻め手はこの枡形内で足止めをくらい、四方の城門櫓や塀の上から守り手側からの矢の雨、石つぶて降り注ぐ・・・想像するとなにやら身震いがしますが、幸いにもこの米子城をめぐって攻防戦が行われたことはありませんので一安心(?)です。

(またまた余談ですが、私の祖父は太平洋戦争時に兵隊として召集され「いざ出兵」という際に、同じく米子から戦地へ向かう人たちとともに、この枡形に集められたそうです。枡形というのは防御施設という意味で作られるのもさるものながら、侍や兵の集合場所としての機能も持ち合わせています。城が建てられた当時も昭和の時代になっても、枡形が同じような使われ方をしたのだと思うとなかなか興味深いものがあります。)

小原長屋門

枡形内で左に折れ石段を登り、枡形門をあとにして右手に進みます。
このあたりは二の丸があった場所。市内の武家屋敷から移築されてきた小原長屋門を過ぎ、テニスコートの横を抜けると、道の傍に井戸の跡が現れます。跡と言っても、穴には転落防止用に金網がしてありましたが、今でも中は水が枯れること湛えているようです。
(子供の頃に石を放り込んで確認した記憶あり。。。悪ガキです(汗))

この井戸は位置からいって、かつては二の丸御殿で実際に使われていた井戸だと思われます。
歴代の城主もこの水で喉を潤したのでしょうか?

井戸を過ぎると、左に折れる道が現われ、いよいよ城山への登り口となります。


→ 中編  米子城って? へ戻る