チャリポタの絵物語
久米城の謂れ(いわれ)その1:伯耆国の久米郡(くめごうり)
米子城は、鳥取県米子市久米町にかつてあった城郭です。
別名で「湊山城」とか「久米城」とも呼ばれます。
湊山(みなとやま)に建っていたから「湊山城」と呼ばれるのはわかります。
ところが、米子市久米町(くめちょう)に建っていたから「久米城」というわけではないのです。
久米町という町名は、古地図にはありません。
城の名前の方が、町名より先なのです。
米子人は、どうして米子城と呼ばずに久米城と呼んだのでしょうか?
チャリポタの今回の歴史探訪は、そんな単純な疑問からはじまりました。
そして、古代から現代にわたる米子の歴史ミステリーを紐解くことになったのです。
では、まず古代の伯耆国において「久米」というのは何を意味していたか?
そこから語り始めましょう。
チャリポタのアレンジによる絵物語です。
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〈むかし話:伯耆国の伯耆は白い亀のことだった〉
いつのことかわからないくらい、すんげェ昔の話です。
大山の見わたせる砂浜に、白い亀が打ち上げられてるのを漁師が見つけました。
しっぽに白い毛が生えていて、まさに百歳の老亀のように見えたそうです。
これは縁起がええということで、漁師たちの間で評判になり、その噂は国司様の耳にまで届きました。
国司とは都から来なったえらーい人のことです。
法律を作ったり、税を集めたりするのが国司の仕事ですが、そんときは国造りに夢中でした。
国の名を考えていた国司様は、白亀(ははき)にあやかり「伯耆(ほうき)」と名付けます。
伯耆は白い亀のことだったんですね。
さらに亀の六角文様になぞらえ、伯耆国は六つの郡に分けェことにしました。
河村、八橋、汗入(あせり)、日野、会見(相見ともいう)と五つまではすんなりと決まります。
あと、国司様のおられる国府のある郡の名が思いつかんのです。
亀の国だから、亀の字を使おうということになりました。
お役人からは亀の字は画数が多くて、書きにくいという意見がでました。
国司様は亀の字をばらばらにしてみます。
亀の字から二つの田をとってみます。
「クし」が残ります。
「クし」は漢字の「久」に見えませんか?
「田田」からは米がとれるので、漢字の「米」にまとめましょう。
二つの漢字をあわせて「久米(くめ)」ができました。
呼びやすいし書きやすい名前ですね。
良い名前だとご満悦の国司様。
まさか、自分が付けた名が城の名に使われ、米子で一番有名な娘の名になるとは思いもよらなかったことでしょう。
イラスト:伯耆=白亀
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伯耆国の久米の由来はなんとなくわかりましたね。
では、久米郡に久米城は建っていたのでしょうか?
いえ、米子城は会見郡に建っていました。
久米は、今の倉吉にあたります。
なぜ、倉吉の地名をわざわざ米子の城につけたのか?
ますます謎が深まったところで、続きは次回。
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文・イラスト/チャリポタ