チャリポタの絵物語
久米城の謂れ(いわれ)最終話:米子城の俳句
久米城の謂われ(いわれ)も、これが最終話です。
倉吉(久米郡)から引っ越してきた人たちの間で、久米城と呼ばれた米子城。
さらに町人たちが、人柱にされたお久米を偲んで久米城と呼んだこともあります。
しかし、いずれもアンダーグラウンドな呼び名でした。
「久米城」がスタンダードな呼び方になったのは、ある有名な俳句からです。
その俳句の作者は?
マンガ:米子城の俳句
米子城主の荒尾成裕が、俳句で「久米ヶ城」と詠んでからというもの、侍から町人に至るまでその呼び名が大流行!!
名実共に、久米城は米子城のスタンダードな呼び方となったのです。
久米城が、いかに人々に浸透していたかを示す石碑が米子に残されています。
下の記念碑の写真をみてください。
写真:久米城御濠跡
「久米城御濠跡」の意味は、「この辺はお城のお堀だったよ」という意味です。
久米城という呼び名が使われていますね。
この記念碑は、明道公民館前にあります。
米子図書館や美術館の近くですから、下のイラストマップをみて、探訪してみてください。
イラストマップ:久米城御濠跡の石碑へ
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文・イラスト/チャリポタ
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絵物語は、チャリポタが創作した物語(フィクション)です。