チャリポタの物語
チャリポタが創作した物語(フィクション)です。
創作物語らしくエンターテインメント性を持たせていますので、ぜひお楽しみ下さい。
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■福頼元秀 米子城下炎上【物語編】
福頼元秀 米子城下炎上【探訪記編】で登場した、福頼元秀で物語を考えましたが、福原元秀と名前が似てるため物語にしにくかったので、福頼左衛門尉と福頼元秀が親子だったという設定で物語を作ってみました。
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・・・時は戦国、まだ米子の城がとなりの飯山(いいやま)にあった頃の話です。
飯之山砦の城主様は、福頼左衛門尉(ふくよりさえもんのじょう)でした。
福頼家は、尼子や毛利などと同じように武士の名家であったので、城主様として担ぎ上げられることが多く、強いものが上に立つというのが戦国の習わしとはいえ、そんなことばかりしておれば城の中で殺し合いばかりになってしまいます。
争いを避けるために、名家の城主様はお侍さんたちにとっても必要な存在だったわけですね。
控えめな左衛門尉は、自分のことを「おれは実力者ではない。ただのお飾り人形さ」と方言(ほうげん)してはばからなかったとか。
そんな剽軽(ひょうきん)な城主様であったが、ひとつ悩み事がありました。
息子の元秀が、血の気が多いというか、のぼせもんなこと。
つい一月前にも毛利軍と尼子軍が相まみえた合戦のおり、手柄をあげたい一心で尼子の残党に首をとられそうになっていたのを助けたばかり。
下級武士ならともかく福頼家の跡取りとしてはなんとか落ち着いてもらわないとこまります。
さてさて、夜になって、米子城下に火の手があがり、みるまに燃え上がった!
尼子の残党が5百、軍船から上陸して来たのであった・・・
めざしているのは、飯之山砦奪還なのは明白であります。
援軍が来るまでなんとかもちこたえねば!
福頼左衛門尉は、すぐに親城にあたる尾高城に援軍をたのむ伝令を走らせる。
一気に攻めこまれたら飯之山砦はもたないので、砦から打って出ては、引き返して敵を混乱させねばなりません。
これは、引き際が難しい戦です。引くことができない元秀にはとてもまかせられない。
炎に包まれた米子城下に今にも飛び出そうかという元秀を、なだめすかし留守番をさせることとする。
このあいだの戦で皆に迷惑をかけていたので、しぶしぶ元秀は、父が砦を打って出るのを見送った。
左衛門尉が砦を出てくると、尼子軍からどっと歓声があがる。
「飯之山城主を討ち取ったら今日一番の手柄だ」というわけなのでしょう。
尼子軍と交戦ののち、いったんは砦に帰ろうとした左衛門尉でしたが、湊山を登っている大柄な武将が目に止まりました。(当時湊山は飯山と細い尾根でつながっておりました。)
その武将は、尼子十傑に入る猛将の羽倉元蔭でした・・・
一人の武将に何ができるのとおっしゃる方もおりますが、元蔭クラスになると、城に入られでもしたらもうそれは大変!
そうはさせじと左衛門尉は、自分も湊山を駆け登っていきました。
もう少しで、元蔭に追いつこうかという時、左衛門尉は、脇腹に強い痛みを感じうずくまります。
槍が深く刺さっていました。右の脇腹にも痛みが、敵の槍に囲まれてしまったのです。
左衛門尉は、元蔭を深追いして、従えていた味方の家来から離れてしまったのでした。
「無念、あとは元秀たのんだぞ」といって息絶えました。
この様子を、砦から見ていたのがその元秀でした。
元秀は涙をこらえながら「父上も、のぼせもんだったじゃないか」とつぶやきました。
家来がやってきて、父の弔い合戦に出るかどうか聞いてまいったので、
「いや、そろそろ尾高から援軍が来る頃だ。砦にて時を待て。」と心を落ち着けながら答えた。
元秀は、のぼせもんの父上でも我慢して城主が務まったのだから、自分もできないわけがないと思えてきたのです。
すぐに、尾高城に走った伝令が帰ってきました。
伝令は、元秀の前で肩を落として、尾高城の城主杉原盛重様が、毛利の吉田へ行って留守だったと伝え「援軍はすぐには来ないでしょう」と言いました。
落胆した元秀でしたが、父ならこんな時はどうしただろうと思い返します。
そして「城主がいないからといって、援軍がこないわけではない」といいました。
首をかしげている伝令に、「すぐに援軍が来ると皆に伝えよ」といいながらめくばせをする。
そのあと、意気があがった飯之山砦は、尼子の猛攻に必死に耐えていた。
もはや、これまでかと飯之山砦の者たち誰もがが思った時だった・・・
尼子軍が突然軍を引き始めたのでした。
尼子軍は、尾高城の城主杉原盛重が留守なことを知らず、尾高から援軍がそろそろ来ると思って軍船に乗って帰ってしまったのでした。
元秀は手をたたいて喜んだ。
砦の者達をねぎらいながらも元秀は、「明日には尼子軍も杉原盛重様が留守なことがわかるはずだ。再び攻めてくるかもしれない。気をゆるめるなよ」というのを忘れなかった。
砦の者は、元秀はさすが名家の跡取り、いざとなればたいしたものだと感心したという。
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※史実では福頼左衛門尉と福頼元秀は親子関係ではありません。
※現在は福原元秀が羽倉元蔭に討ち取られた説が有力です。
文・イラスト/チャリポタ