原案Tの紀行文
■中村家のルーツ ~甲賀水口紀行~
中村くんのお父さん中村一氏「以下『中村さん』」の出自ははっきりとはわかっていません。 まずは水口城資料館に行き情報収集を・・・と思ったのですが、訪れた日はなんと閉館日! 気を取り直して、水口岡山城跡へ向かいます。 水口岡山城への登り口 当時の東海道と宿場町を川とで挟む地形にあり、街道の動きににらみがきくこの山に城を築いたのはさすがと言えます。 また比高100mという米子城の城山とほぼ同じ高さの独立峰なので山上からの眺めがよく、東海道の東西の動きや遠く琵琶湖方面まで見渡せて、逆にこの山上に天守閣があれば領内への視覚効果も米子城同様に相当効果があったと思われます。 (ちなみに天守閣があったかどうかは不明だそうです。本丸の東西の端にそれぞれ大きな土台の跡が残っています。 整備された西ノ丸 西ノ丸から見た本丸の方 ここに建っていたのは櫓だとされていますが、天守閣があったという説もあるそうです。個人的には二基とも天守閣の土台であり、当時は二つの天守を持つ城だった、ということだと米子城との共通性がまたあって面白いかなと思いますが、果たして真実は?) 水口岡山城は1590年に中村さんが静岡へ転封したあと、1600年に落城の憂き目にあいます。 本丸櫓跡 山上からの水口市街の眺め その後、江戸時代に入りふもとに水口城が建てられた際に、石垣などの使える材料は城山から運び出されてしまい廃城となってしまいます。 ただ、今でも城の北側にはかろうじて石垣が残っており、当時の遺構に触れることができます。 また各郭、掘切、虎口などもよく残っていて、中村さんの立派な城造りがうかがえます。 北側に残る石垣群 中村さんの水口での城造り・町造りが、次の静岡での城下町にも活かされ、そして最後は米子の城と町造りに繋がっていると実感できて、とても満足した訪問となりました。 |