原案Tの紀行文
■中江藤樹の町~安曇川紀行~
今回の「加藤プロジェクト」の原案を考えるにあたって、以前大洲の町に訪れて「加藤さん」のキャラクターを固めることができましたが、加藤さん編を語るうえでははずす事が出来ない中江藤樹について探るべく、近江の国「安曇川」に行ってまいりました。
以前訪れた近江八幡からは琵琶湖を挟んで対岸に位置する安曇川の町は、同じ琵琶湖沿岸とはいえ東側とはまた違う空気を感じました。
さて、まず情報収集をするべく道の駅へ行きました。その名も「道の駅・藤樹の里あどがわ」。
米子には石碑、大洲には銅像、とそれぞれゆかりの地ではそれなりに中江藤樹を推していたのですが、これは町をあげて中江藤樹を推している事がいきなり伝わってきて驚きました。
ここで資料館の場所など情報収集。いつもの『行ってみたけど開いてなかった』という展開はなさそうでほっと一安心です。(水口や岸和田に続いて、岩国でも山中鹿介の兜が見られないという残念なことをやりましたので、不安になっていました(汗))
「中江藤樹記念館」は国道沿いにある道の駅の裏手、古い市街地の中にありました。
中に入ると藤樹少年が描かれたレリーフがお出迎え。館内では中江藤樹の事跡紹介のアニメビデオが流され、数々の遺品や陽明学の説明、弟子のその後の活躍などが展示されており「これは地元の小学校で必ず見学に来させられるに違いない(笑)」と心の中で確信をしていました。小さい頃から中江藤樹の教えた『知行合一』『致良知』の精神を身に付けていけば、将来は事を成す人間に成長できそうです。
ところが職員さんの話を聞くと、会社の社長さんが社員研修の目的で社員たちを連れて訪れることもあるとのこと。たしかに、得た知識や経験を「実践」してくれる人間は、会社の求めると社員像と一致することも大いに考えられますので、なるほどと思いました。
(とにかく知識を得るのが好きな自分としては、この記念館で中江藤樹と陽明学から、かなり痛いところをつかれた気になりました(苦笑))
続いて、記念館の裏にある中国庭園「陽明園」を訪れました。
ここは陽明学の始祖・王陽明の出身地と安曇川町の友好交流を記念して造られた庭園とのこと。
まだ寒い時期だったので池の鯉は冬眠中。ただきれいな青い鳥が私を誘うかのように水路沿いに飛んでいきました。鳥を少し追いかけていると、庭園はそこでもう終わりでした。
鳥取の燕趙園や沖縄の福州園のような大きな中国庭園ではありませんでしたが、市街地の中にありそれなりに地元の人の憩いの場になっているのかもしれません。
(「かもしれません」というのは、寒かった上に模様も悪く園内では他に人を見かけなかったので・・・推測ですみません)
藤樹書院
書院の敷地内にある藤の木
次に中江藤樹の自宅跡である「藤樹書院」を訪れました。
村人と門弟が藤樹の自宅兼学び舎として建てられたものを、明治時代に再建したとのこと。中に入ると学び舎に相応しい静かな佇まいを感じました。
この建物内でも『致良知』の言葉が一押しされていて、また書院の向かいにある「良知館」という案内所兼休憩施設でお茶をよばれましたがこちらにも藤樹先生の教えが色々と掲示されており、町のいたるところで中江藤樹の精神が生き残っていることを感じられました。
最後に「藤樹墓所」にて仏式とは異なる儒式にて立てられた中江藤樹のお墓に手を合わせて帰路に着きました。
その際に、また道の駅に戻って買ったお土産が「大吟醸・藤樹」というお酒。
まさしく町をあげての中江藤樹推しを感じて、いつか米子の町も「中村くん」推しで盛り上がったりしないかなあ、夢想させられた安曇川訪問となりました。
ちなみにこの旅を終えて決心したのは「是非に『藤樹くん』を加藤プロジェクトで出したい」ということでした。
本場の藤樹キャラクター『よえもん君』
ただ、安曇川にも中村藤樹(少年)をモチーフにした「よえもん君」というキャラクターが居るので、そちらとは外見がかぶらないように作画担当のヤエさんにはお願いしたいと思います(笑)
文/原案T