チャリポタの短編企画
■わがままなお姫様城と、気前の良すぎるお坊ちゃま -米子城と松江城-
-米子城と松江城-
江戸城が開城したので、明治という新しい時代になりました。
そのころは、全国にたくさんあったお城というものが、いらなくなって、
どんどん壊されていきました。
ところが、そんななかで、新築に建て替えられたお城がたったひとつあったのです。
米子城の2つある天守閣の小さい方です。
名前はお久米でしたが、なんとわがままなお姫様城でした。
鳥取藩の端の小さな城下町で、お金が余っていたわけではなった。
だから、城下の商人たちから、返すあてのない借金をして、
豪華な装飾品で着飾っていたというわけなんです。
おとなりの松江藩のお城はというと、名前は千鳥といいましたが、
気前の良すぎるお坊ちゃまだとバカにされていました。
飢饉になりそうだというと、あわててお城の米蔵を開けっ放しにするもんだから、
しめしめと金持ちまで貰いにくるしまつです。
ところが、不思議なことに、余ったからと返しに来るものや、援助する町人もいて、
いつの間にか、米蔵がいっぱいに戻ります。
松江藩の家臣たちの七不思議のひとつでした。
さて、明治に代わると、専売つまり独り占めができなくなった米子の商人は、
以前ほど儲からなくなってしまっていました。
にもかかわらず、お姫様城は、やれ俳句会だの、
花見だのにかこつけた金の無心は収まることがありません。
困った商人たちは、ある日、お久米に言いました。
「明治になったから、洋風の服にお着替えしてあげよう。」
そして、まだピカピカの外板が次々と剥がされていきました。
銘木が使われていたので、高く売りさばくことができたと商人たちは大喜びしました。
お久米は、屋根瓦と柱骨だけになって、新しい洋風の服とやらを待っていまいたが、
待てど新しい服はやってきません。
松江藩は、明治政府から、お城を明け渡すように言われました。
藩がなくなるので、家臣たちは無職の浪人になっていまいます。
気前の良すぎるお坊ちゃま城は、心配して、城の金庫を開けて、すべて彼らに分け与えました。
それでも足りないといけないと、自分の柱や壁に嵌められた金ぴかの金具なども与えたので、
千鳥は、見すぼらしい廃屋のようになってしまいました。
浪人たちはたくさんの退職金で、町で飲めよ歌えの大騒ぎが始まります。
一方、米子の商人たちは、骨だらけになったお姫様城をみて話しています。
「もうこれでは、金にはならんのお。このままほっておくか」
「いや、わしに考えがある」という商人がいて、大八車と大きなのこぎりを持ってきて、
城の柱骨を切り始めました。
お久米は、きっとこれは新しい洋服のために骨まで新しくされるんだと思って、
今度目をあけたらどんなに素敵になっているのかしらとワクワクしながら、めを閉じました。
松江の浪人たちはというと、遊びにもそろそろ飽きてきたので、
久しぶりに千鳥に会いに行こうとなって、城の前に来て話しています。
「お城の瓦が今にも崩れそうだ。」
「壁がぼろぼろじゃないか。」
「このままにしておいたら、危険だぞ。」
元家臣たちは、土木工事や、大工仕事はお手の物です。
道具を持って来て、古くなった壁板や、瓦をあっという間に剝がしていきました。
千鳥は、体が穴だらけで、吹きさらしになっていていました。
大柱も傷んでいて、建っているのもつらかったので、
そろそろ解体してくれてたすかると思っています。
めをつぶって、むかし目にした懐かしい光景を思い起こしています。
お城が建って、初めて見た、松江の町は、まだ泥沼があちこちにありました。
それが次第に、町になり、人々が集い、繫栄していく様。
祭りばやしや、童の歓声、立派だった茶会の匂い。
走馬灯のように、次から次へと浮かんでは消えて、
ああもうすぐ、さよならするかと思うと、少し涙が潤んできます。
米子の久米城は、木の焦げる臭いでめを覚ますと、黒い雲のなかにいました。
下には、風呂屋の煙突がみえて、どうもそのなかを通ってきたようです。ゴホゴホ。
大勢の町民が集まっています。その真ん中で、商売上手の風呂屋の主人が叫んでいます。
「本日は、お城の材木で炊いた特別な湯だよ。入ると長生きできること間違いなしさ。」
どうやら、風呂の薪にされてしまったことは、分かったんですが、
どうして自分が焼かれたのかがわからないまま、お久米は米子の空に消えてしまいました。
トンカントンカンという金槌の音と、ドーンドーンという大きな木槌の音で、
松江の千鳥城は目をさましました。
それはそれはびっくりするような光景が広がっていました。
壁が真新しい板が貼られていて、
瓦も葺き替えられて、ピカピカに光り輝いています。
そして、何よりびっくらこいたのが、大勢の元家臣たちが、総出で運んでいたものです。
新しい大柱でした。
「大柱を替えておけば、千年は持つぞ!」
「えいえいおーっ」
お坊ちゃま城千鳥は、大粒の涙をこぼしました。
もちろん今度は、うれし涙です。
「おい、天守が濡れているぞー。誰だ!こぼしたやつは。吹いとけ、バチがあたるそ。」
それ以来、松江で晴れているのに、小雨が降ってくるのは、千鳥のうれし涙といわれています。
弁当忘れても、傘忘れるなですね。
そうそう、晴れて千鳥のお城が、国宝になったときには、松江はどしゃぶり大雨になりました。
松江城は、めでたしめでたし。
お城評論家の話によると、米子城の小天守は、建築様式も古式で貴重なため、
現存すれば、松江城より早く、真っ先に国宝になっていたらしい。
そうなったら、お久米は鼻高々だったでしょうね。
米子城は、残念無念。
【チャリポタの解説】
この空想物語には、歴史の真実がちりばめられています。
どこの県でも、幕末は城が取り壊されました。
手入れされて保存された松江城はめずらしい例です。
おかげで、松江は国際観光都市になりました。
藩士は、退職金で遊興しました。
風呂屋の薪になったのは、米子城くらいでしょうかね(笑)
風呂屋のキャンペーンは本当にありました。
昔のSDGsでしょうか。
この発想が米子を山陰の商都にしました。
でも、豪商が寄付した石垣は立派で、米子市も大切に修復保存しています。
そのため、景観の素晴らしさにより、観光スポットとして最近注目されてきています。
文・イラスト/チャリポタ