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制作日記

新 チャリポタの自転車探訪記

■山中鹿介探訪記(13) 品川大膳の碑と胴塚

山中鹿介と一騎打ちで戦った品川大膳の墓が、広瀬町内にあるというのを聞いて、
チャリポタが訪ねました。

前回紹介した「川中島一騎討之碑」からは、西側になります。
広瀬の町を走ると、「品川大膳の墓」の看板が見つかるので、
入り口はわかりやすいです。

「品川大膳の墓」の看板1
「品川大膳の墓」の看板1

「品川大膳の墓」の看板2
「品川大膳の墓」の看板2

墓に行くまでに、陶器を陳列した家がありました。
骨董品屋ではなく、ただの民家です。
たいそうなコレクションです。。。

陶器
陶器

川沿いの小道をちょっと歩いて、畑の中に墓はありました。
墓の脇に、肥料の袋が無造作に置いてあったので、
ほほえましくなりました。

畑の中
畑の中

実際に見てみると、墓というより、
「品川大膳の碑」と「品川大膳の胴塚」のセットのように思います。
首は、鹿介が持ち帰ったので無いからです。

ちなみに、鳥取県鹿野町にある「山中鹿介の墓」も胴塚で、
鹿介の首は安置されていません。

品川大膳の碑
品川大膳の碑

「品川大膳の碑」は、品川家の末裔が立てています。

では、「川中島一騎討之碑」や「山中鹿介の墓」は、山中家の末裔が立てたのでしょうか。

それが山中家ではなく、亀井家が立てています。
なんで亀井なの?
その疑問に答えるため、チャリポタが歴史を調べていますよ。

次男であった山中鹿介は、尼子の家老であった亀井家を継ぐことになっていた。
そう亀井鹿介として、家老の家をね。

だけど、山中家の長男(鹿介の兄)が出家したので、やむなく山中家に戻った。
亀井家は家老が亡くなって、後を継ぐものがいなくなっていたので、
鹿介の尽力で、養子を迎え、家老の娘(鹿介の義妹になる)と娶わせた。

その養子が鹿野城主亀井茲矩であります。

さて、山中鹿介大河ドラマ化応援企画を補足します。

[コラム:山中鹿介はなぜ大河ドラマの主人公になれないか]
1.
山中鹿介がどうして大河ドラマの主人公にならないかというと、
女性のキャラが少ないせいではないかとチャリポタは考えています。

その中でも、鹿介の義妹は、いいキャラになりそうです。
家老の娘といえば、お姫様と呼べます。
伝記が少ないので、いろいろ創り込めそうですしね。

2.
山中鹿介がどうして大河ドラマの主人公にならないかというもうひとつの理由が、
鹿介の最後がアンハッピーなせいではないかとチャリポタは考えています。

鹿介の義妹と亀井茲矩はハッピーですよね。
主人公を2人にして恋愛を交え、
影の主人公として、鹿介を配置していくってのもよさそうですね。

今後も、山中鹿介を大河ドラマ応援企画をこの探訪記で公開していきますのでご期待ください。

文・写真/チャリポタ