米子歴史浪漫プロジェクト


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制作日記

新 チャリポタの自転車探訪記

■山中鹿介探訪記(12) 川中島一騎討之碑

山中鹿介の「川中島一騎討之碑」が安来市広瀬町にあるというのを聞いて、
チャリポタが訪ねました。

川中島というので、富田城の真下の富田川の川中洲に立ってそうですが、
川中島は広瀬の町中にあります。

洪水で川の流れが変わったのですね。

広瀬の町を走ると矢印付きの観光名所の看板があちこちにあって、
たぶん迷わないと思っていました。

ところが、主要道路から川を渡った側道にあったため、広瀬町内を行ったり来たりして
やっと見つけました。

安来市立病院からだと、道が分かりやすい。
広瀬町民でも碑があること自体知らない人がいますので、道を聞いてもダメです(笑)

川中島一騎討之碑
写真:川中島一騎討之碑

碑から富田城を望む
写真:碑から富田城を望む

碑の解説
写真:碑の解説

碑は、とても立派なものです。
一騎打ちは戦前の小学校の教科書に掲載されていましたので、立てる時に寄付も
多かったと思います。

柵の石に、米子の「就将校・啓成校」の文字を見つけ、募金箱にお金を入れている
小学生の姿を想像しました。

就将校・啓成校の柵石
写真:就将校・啓成校の柵石

さて一騎打ちの話になりますと、
雲陽軍実記、太閤記、陰徳太平記に記載されている史実なのですが、微妙に内容に差異があります。

チャリポタは、それらを読んで現地を訪れ、自分なりの一騎打ちの実像を考察しています。

[品川大膳の謀]
1. 品川大膳は、このとき無名の存在だったため、山中鹿介の敵ではなかった。
 その力量の差をうめるために、飛び道具の弓を持ち込んだ。

2. 当時は富田川は大型の船が通れるほど深かったので、鹿介は小舟で渡ってくる必要があったが
 大膳は、歩いて渡ってきて、自分が討たれそうになったら助けにくるように仲間と
 示し合わせていた。

2.のところはとても重要で、川中島という中立地点のようですが、
実は敵地で一騎打ちをしたということになります。

鹿介は、一騎打ちが仕掛けた方に利があることは承知の上で、瞬時に対策を立てます。

[山中鹿介の対策]
まずは1.の飛び道具の弓の対策として、親友で弓の名人の秋上伊織介を小舟に同乗させたのです。
そして庵介に、矢で大膳の弓の弦を切らせることに成功します。

2.の敵の助太刀・仕返しの対策については、一騎打ちの見世物としての価値を高めることで
回避しようとします。
つまり、見応えがあって面白くして満足させられれば、敵も手出しできないというわけです。

一騎打ちはプロレスでいうデスマッチですから、真剣勝負なのですが、
鹿介は見ているものを満足させるような筋書きを考えながら戦っていたと思います。

[勝負の流れ]
最初、鹿介は刀勝負で圧倒するがなかなか勝負がつきません。

大膳は、得意な組み打ちで勝負してきます。
今度は大膳が押し返します。

鹿介が砂に足をとられ組み敷かれ危なくなると、
秋山庵介が助けに来て、ちょっと刀で切りつけて下がります。

鹿介は大膳を跳ね返し、鮮やかに首を空中で切ってみせた。
このときは、鹿介は敵の首の骨格が透視するように見える境地にあったのです。

それを見て、川を渡りはじめていた敵たちはくやしがりますが後の祭りです。
見事な戦いぶりに、敵味方から大歓声が鳴り止みません。
[終]

以上、ざっとした戦いの流れは、鹿介の狙い通りとても面白い結果になりました。
チャリポタはプロレスのおきまりの試合パターンとそっくりだと思います。
鹿介は、せっかく連れてきた伊織介の出番もちゃんと用意していますね。

[改名について]
また、品川大膳は「木或木(たら)狼之介勝盛」と改名しています。
「山中鹿介幸盛」に勝つ名前というわけです。
プロレスでは、「タイガーマスク命名試合」という試合は大人気ですね。
大膳側の文書では、改名は鹿介の創作だといっていますが、
それが本当だとしたら、鹿介の演出のひとつということになります。

[名誉の傷について]
さらに、鹿介は向こう脛に負傷を負いましたが。
プロレスでは、顔面から血を出すと、出血サービスの手当が支払われます。
それも、ポイントが高いです。

いずれにしても、名誉の一戦ということに異論はありません。
プロレスのポスターにすると、下記になるかも。

「狼介襲名、毛利陣前デスマッチ、弓あり刀あり相撲まで戦国格闘技戦
一騎打ちで負けたことのない山中鹿介も今度ばかりは危うし!」

一騎打ちの後、鹿介の活躍も叶わず、富田城は明け渡されました。
浪人となった鹿介は尼子家再興軍を隠岐から出雲に上陸させます。
そのとき、一番に駆け参じたのが、このとき助太刀した秋上伊織介。
この一騎打ちはのちの戦いにも繋がっています。

さて、次回は品川大膳の墓を訪ねますのでご期待ください。

文・写真/チャリポタ