米子歴史浪漫プロジェクト


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制作日記

チャリポタの自転車探訪記

■深田惣左衛門はなぜ私財を投じて日野川堤を作ったか

鳥取県西部を流れる日野川は水流が多く、たびたび洪水になって西側の「車尾」や東側の
「日吉津村」や「淀江」の人々を苦しめました。
それに立ち向かったのが、日野川沿いの車尾にある庄屋の深田惣左衛門です。

彼の日野川堤(のちに深田土手と呼ばれる)の大工事は、弓ヶ浜半島の形を変えたというくらい
スケールの大きものでした。

深田惣左衛門はなぜ私財を投じて日野川堤を作ったのか?
元歴史館の館長さんは、こう言いました。

「深田惣左衛門は豪商だ。自分の庭に引く水を得るために、日野川堤を作った。」

半分は冗談ですが、実際に現存する深田氏庭園に直通の運河を引いていますので、
あながち嘘の話でもないようです。

では、私利私欲のためでなく民百姓のために私財を投じた偉い人だったのでしょうか?

実のところは、洪水になって田畑がやられると、庄屋である深田家が年貢を立て替えないと
いけなかったためです。
ですから、もちろん工事したのは、自分の領地のある日野川西側のみです。

東側の人々は、洪水がなくなるどころか、今まで西側に流れていた濁流までみな東側に
流れるようになったからたまったもんじゃありませんね。

チャリポタは、日野川土手にある深田惣左衛門の碑を訪ねました。

深田氏庭園から旧日野橋に行き、橋の前で左に折れしばらく自転車を走らせると、道路わきの
ミニ公園の中に建っています。

深田惣左衛門の碑
写真:深田惣左衛門の碑

碑は、日野川東側に向いて建てられています。
西側を見つめて建てとかないと、、とチャリポタは思いましたとさ。

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文・写真/チャリポタ

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