米子歴史浪漫プロジェクト


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制作日記

チャリポタの自転車探訪記

■コレラ治した神の木「夜見町の湯立の松」

<むかし話:「夜見町の湯立の松」(チャリポタ再話)>

明治になるちょんぼし前の話、米子で南蛮渡来の病が大流行しました。
コレラです。
見たことも聞いたこともない病気だもんで、治療法もわからずたくさんの人が亡くなりました。

コレラから人々を守るにはどうすればええか、夜見町では村人がぎょうさん集まり相談しています。
「こんだけ怖ええ病気に立ち向かうには神様にすがるしかねえ」と、一人がいいました。
夜見神社の宮司さんが呼ばれます。

グルメな宮司さんが言うには、病に打ち克つには、次の食材を一度に食べないといけないという。
「最上級の新米と、純米大吟醸酒と、浜の天然塩。」
村人たちは、首をふります。
皆が食べられるほどの量の高級食材がとても用意できんのです。

そんとき、番茶を持ってきたお婆さんがいう。
「湯を沸して、そん中に全部入れて、皆に飲ませればええ。 」
「それはええ、そうしよう」と皆。

娘をコレラでなくしていた地主さんが食材を用意してきます。
大きな松の前で、大釜に湯をわかし、その食材を入れます。
味にうるさい宮司さんが、何度も塩加減を確かめております。

お祓いをしてから、湯立てがたくさんの村人にふるまわれました。
その効果があったのか、コレラの流行は治まったのです。
幕末から今日まで、無病息災を願って行事は続けられています。

なぜ予防に効果があったのか、皆さんわかりますか?
答えは、宮司さんの塩加減にありました。
お酒とお米は栄養分満点なのですが、それを塩加減で病院の点滴のように吸収されやすくしていたのです。

まさに江戸の栄養ドリンク。
風邪のときは、ためしてみましょう。
コレラにもきくのですから、すんげえききめかも。

湯立の松

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<「夜見町の湯立の松」を訪ねて>

神の木「湯立の松」は、現存しているという。
夜見町一区に向かうチャリポタの自転車。
道標とか無いので神の木はすぐには見つかりません。

畑の草刈りしているお婆さんにきいてみます。
「そこの1つめの角を曲がったところじゃが。」
「松は枯れてしまったがなあ」と、お婆さんの問題発言。

気を取り直し、切り株でも見に行こうとして1つめの角を曲がろうとするチャリポタ。
お婆さんが、鎌を構えたまま追いかけてくるがな。
怯んでいると、どうやら2つめの角を曲がらんといけんだったようです。ホッ。

正しい道を曲がると、小さな兄弟が「こんにちは!」と元気な挨拶してくれます。
次に出会ったのは、豊満になった胸に赤ちゃん抱いた若奥さん。
小さな弟がちゃんとあいさつしたよ、と兄がわざわざ報告しにいったのでお母さんだとわかります。

微笑ましい光景をあとにして、チャリポタは先に進みます。
松の切り株をみつけました。
火を炊いた炭も残っていて、今年も湯立てが無事に行われたようです。

松の切り株
松の切り株

切り株のわきに、「湯立の松 玉垣」と銘打たれた石の垣根が新設されています。
中をのぞくと、神木の苗木が元気よく立っていました。
改めて、生まれたての神様に無病息災を祈って柏手。パンパン。

神の木の苗木
神の木の苗木

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文・イラスト/チャリポタ