チャリポタの自転車探訪記
■粟島神社秋大祭
米子市彦名町にある粟島神社が秋祭りだというので、行ってきました。粟島さんの参道の脇にチャリを置いて、まず人がいないのでびっくり!
何年か前は、たくさんの人出で賑わっていたのに・・・。
と思ったら、笛や太鼓の音が聞こえてくる。
境内のどこかで雅楽の演奏会が始まったようです。
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<雅楽の調べと歴史の語り>
赤い砲弾をかたどった忠魂碑の前の広場に人が集まっています。
観客を取り囲むようにカメラの列が並ぶ。
どうりで、人がいないわけだ。
「演奏者の気が散るので、フラッシュはしないでくださいね。」
カメラを首からぶら下げていたチャリポタも受付でご指導を受ける。
日本固有の文化である雅楽は長い歴史があって、流行のようなものがあったそうです。
趣向を凝らした雅楽の調べはとても味わい深いものでした。
笙(しょう)の調べを伴奏にした「粟島の伝説」の語りがチャリポタは特にお気に入りでした。
「粟島の伝説」の語り
神様の名前は長くてチャリポタはなかなか言えませんが、少彦名命(スクナヒコナノミコト)をすらすら語られるので、おもわず拍手です。
少彦名命は、粟島神社の御祭神で一寸法師のような医術の神様です。
粟にはじかれて、空高くお隠れになったとか。
「八百比丘尼の伝説」の語りもありました。
忠魂碑前の広場の奥に、静の岩屋(しずのいわや)と呼ばれる洞穴があります。
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<八百姫の洞穴に咲く可憐な花>
洞穴は人魚の肉を食べて不老不死になった八百比丘尼がお隠れになったところです。
八百比丘尼の洞穴
この近くには、少彦名命ゆかりの「お岩さん」もあり、昼間でも神聖な霊気を感じます。
洞穴の前で沢山の人が家族の無事を祈ってお参りした時代があった・・かの太平洋戦争中の事でした。
おかげを受けて、生きて帰れた兵隊さん達は、帰らなかった友の為に立派な忠魂碑を建てられました。
ふとみると、洞穴に花が咲いている。
何という名前だろう?
洞穴の花
洞穴の奥の登山道から山頂の神殿の裏に行けるらしいので、今回挑戦してみました。
粟島の山は千年大切に守られてきた原生林で植生から「鳥取県の天然記念物」に指定されています。
今も昔も変わらない自然の道を登っていく・・・足を滑らせないように注意して。
山道で、山登りの服装の2人連れに道を尋ねられた。
「この道を行くと、水鳥公園に行けるって聞いたけど、山に上がっていくんだけど?」
「ここは、本殿に上がる道です。引き返して正しい道をご案内しましょう。」
チャリポタは、洞穴前に引き返し、トンボ池から水鳥公園に抜けるところまで連れて行ってあげた。
神奈川県から来て、昨日は大山を登山したのだと言っておられた。
花にくわしい方がいて、洞穴に咲く花の名を教えてもらいました。
「ツワブキ」というそうです。
登り直そうとしていると、今度は子供たちのがやがやとした声が山道の上から聞こえてきた。
「ついた。ついた。」
「きれいな黄色い花!」
「それは、ツワブキだよ。」
チャリポタは、物知り顔で教えてあげました。
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<粟島は下を向いて歩こう>
本殿に登る途中で横道にそれる。
来る前に、子供のころ粟島で水晶をよく見つけたという人の話を聞いていたので、探してみようと思ったのです。
粟島神社前の案内図に「石英粒」という表記がある辺りに行ってみる。
下を向いて歩いていると、米粒のような水晶が岩の間にたくさん落ちているところがあった。
その岩に登ってみてびっくり。
岩盤のあちこちに石英のかたまりが化石のようにはまっていてキラキラ光っている。
石英粒のある巨岩
子供の頃、校庭の砂から水晶を探したことがあるが、その頃ここにきたら狂喜したにちがいない。
粟島は天然記念物なので、持ち帰ったりはできませんが、自然観察には面白いかも知れません。
寄り道したが、本殿裏に登り着いた。
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<雨の日の粟島神社>
本殿のまわりには、地面の苔の間に、老樹の根っこがむきだしになっています。
これが雨あがりとかになると、しっとりしていい感じになります。
以前、雨の時に撮った写真を紹介しましょう。
雨あがりの本殿
参拝して、今度は正面から帰ることにします。
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<外人さんもトレーニング>
正面から本殿に登る階段は、187段あるそうです。
チャリポタが休憩して写真をとっていると、外人さんが、抱っこベルトをして降りてくる。
「かわいい赤ちゃん」とすれちがう人に声をかけられると、
「がんばってね」と答えていた。
外人さんは、子守しながら石段で足腰のトレーニングしていたのだ。
彼のようにトレーニング目的で定期的に階段を利用している人も多い。
階段から鳥居をみる
階段の下にある鳥居は、第3の鳥居。
参道の入り口にあるのが、第2の鳥居です。
では、第1の鳥居はどこにあったのでしょう。
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<昔は、船でお参りしていた>
実は米子市が、第1の鳥居の一部を道路の中に残してくれています。
歴史の証人に会いにいきましょう。
第2の鳥居と第1の鳥居
昔は、粟島は島で、陸続きではなかった。
第1の鳥居と第2の鳥居の間は、船で渡してもらったそう。
渡し賃は、三文だったといいます。
その面影は今はありません。
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注)リポートには、状況やその後の考察などチャリポタの推測も含まれています。
文・イラスト/チャリポタ
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