米子歴史浪漫プロジェクト


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制作日記

チャリポタの自転車探訪記

■和田の芋塚 葭津の芋塚

鳥取県には、芋代官を祀る芋塚が12基確認されています。

「芋塚さん」と呼ばれるこの石碑は、さつま芋を領地に広め飢饉から民を救った「芋代官」を祀ったもの。12基の内訳は、境港市が7基でいちばん多く、青谷にも1基あります。

米子市には残りの4基があり(前回2基紹介)、今回は残りの2基「和田の芋塚」「葭津の芋塚」を探しにチャリポタが炎天下の中を走ってきましたのでリポートします。

2013年のお盆は暑かった・・・。
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<和田の芋塚>

「和田の芋塚」は、米子市和田町の雲泉寺(うんぜんじ)にあります。
鳥取県最古の歴史ある芋塚が見れるということで、ハイテンションで自転車を走らせているチャリポタ。
「和田御崎神社」の日陰で一休み、この神社は出雲の日御碕神社の分家(分霊)らしい。

米子城主の荒尾氏もよく参拝しにきたという和田御崎神社は、周囲は湧き水も多く砂地としては珍しい緑豊かな奇跡の森が奥にあります。

和田御崎神社
和田御崎神社

森の散歩はまたにして、民家の奥さんに雲泉寺への道を尋ねたら、丁寧に教えていただきました。
・・・どうやら通りすぎて隣町まで来てしまっていたようだ。

教えてもらったお寺に着いて、芋塚を探し始めたチャリポタを呼び止める甲高い声。
「ごめんなさい、そこは雲龍寺(うんりゅうじ)なの。雲泉寺じゃないの。教えるのまちがえた。」
わざわざ、さっきの奥さんがママチャリに乗り、汗だらで追いかけてきてくれたのだった。

道を聞き直して、教えてもらった路地に曲がろうとしてチャリポタが振り返ると、
まだお奥さんがチャリポタの行方を見ていてくれて、遠くから「そこそこ」と手で合図してくれている。
アスファルトが焼けてモワッとしているのに・・・まあ親切な人。芋代官の遠い縁者かもしれない。
お陰様で、鳥取県最古の芋塚に出会えました。

和田の芋塚
和田の芋塚

墓石型の碑面に、芋代官の法名の「泰雲院義岳良忠居士」と刻まれています。

この肥沃な土地はさつま芋がどこよりも早く根付いたのではないでしょうか。
・・・弓ヶ浜に適した品種もここで育ったのかもしれない。
浜のさつま芋は「浜かんしょう」という名で、秋の味覚として販売されていて、ふかして食べるとほくほくして美味しいです。

写真を撮りながら、歴史に思いをはせていると、英会話の先生に声をかけられる。
「今晩、ここで盆踊り大会するので来てください。綿菓子無料ですよ。」
雲泉寺の寺の敷地内に英会話教室が建っていた。

「英語で芋代官は何ていうの?」って聞こうとしてやめたチャリポタが汗を拭く。
碑を大切に守られている英会話の先生にさよならを言って、米子の4基のうちのもう一つの芋代官碑を探しに出発!

途中、日本海に回って、裸足になって海水に足をひたして涼をとる。
「ふ~」キモチいい。

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<葭津の芋塚>

寺の名前はわかっているので、すぐに見つかるだろうと油断していたチャリポタは、焼けるような真昼に1時間も町をうろつかせられることになる。

場外馬券売場の交通整理しているチャリの人に尋ねると
「そんな寺は、きいたことないな」
いきなりこれです。

ここは、年の功で年配の人に聞こうと、
デイケアセンターのバスに乗ろうとしている車椅子のおばあさんに質問する。
「任宗寺か、住職さん知っとるよ」
やはり、チャリポタの判断は正しかった!

安心したチャリポタを奈落に落とすおばあさんの台詞が待っていた。
「住職さんが亡くなって、跡継ぎがいなかったから廃寺になったよ。」
車窓から手をふってるおばあさんを乗せて、デイケアセンターのバスが無情に出て行く。

こうなったら、自力(チャリキ)で芋代官碑を探すしかない!!
寺は無くなっても、墓地はなくなっていないだろう。
走っていると、真新しい墓地が高台にみえた。引っ越し先なのかも?
不安になってきた・・・まあ、文化財がなくなることはないはずだが。

焼けるような真昼に1時間も町をうろついてふらふら。
2リットルの天然水もなくなり、もう帰ろうかと思ったその時!
民家の間の細い道の先にある、鎮守の森の中に大きな石碑がおぼろにみえた。

鳥取県最大、人の背より高い3mの巨大な碑だった。
大きくなかったら見つけられなかったかも!
立派な碑に合掌する。

葭津の芋塚
葭津の芋塚

自然石の碑面に、芋代官の法名の「泰雲院義岳良忠居士」と刻まれています。
木陰なので涼しく、しばし暑さを忘れまわりを散策することにする。

近くに、一千万遍の供養塔が6基ありました。
百万遍という行事があります。

大きな数珠をみんなで輪になって、念仏を唱えながらまわすものです。
百万遍を十年続けると一千万遍になり、記念に一千万遍の供養塔が作られました。
行事は60年以上続けられたことになります。

一千万遍の供養塔
一千万遍の供養塔

ひっそりと供養塔がいにしえの念仏の声を伝えているのを感じ、一方で寺の敷地に新築のアパートが建っているのをみて複雑な思いにとらわれましたが、これもまた歴史なのでしょう。

百万遍のイラスト

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注)リポートには、状況やその後の考察などチャリポタの推測も含まれています。

文・イラスト/チャリポタ



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