チャリポタの自転車探訪記
■夜見の芋塚 富益の芋塚
弓ヶ浜半島には、芋代官を祀る芋塚が11基確認されています。「芋塚さん」と呼ばれるこの石碑は、「芋代官」を祀ったもの・・・。
「芋代官」とは何者かというと、江戸時代に石見銀山領の代官だった
「井戸平左衛門(いどへいざえもん)」のことなんです。
代官に就任したばかりの平左衛門が遭遇したのが亨保の大飢饉。
平左衛門はその年の年貢を下げ、宮蔵を開放し、ひとりの餓死者も出さなかった名君です。
さらに、薩摩の国からさつま芋の種芋を取り寄せ領地に広め、将来に備えました。
その偉業を讃え、各地で「芋塚さん」と呼ばれる「芋代官碑」が建てられています。
そのうち米子市には4基があり、今回はそのうちの2基「夜見の芋塚」「富益の芋塚」を
チャリポタがリポートします。
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<夜見の芋塚>
「夜見の芋塚」は、米子市夜見町の迎接院(こうしょういん)にあります。
夜見町の迎接院
入り口を入ってすぐ左手にありました。
夜見の芋塚
墓石型の碑面に、芋代官の法名の「泰雲院義岳良忠居士」と刻まれています。
迎接院では、毎年梅雨の時期に「芋代官祭り」が開催されています。
門の前の掲示板によると、芋代官の法要の後に芋粥をいただきながら、CDにもなっている「井戸平左衛門の歌」、「踊り付きの芋代官の歌」、「住職みずから演ずる芋代官の紙芝居」などが披露されるそうです。
今度は、祭りの時に来てみたいですね。
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<富益の芋塚>
富益神社鳥居
中に入ってみると、遷移中(神体のお引越し)だそうで、大工さんがトントンしておられました。
境内を回ってみると、芋代官の碑の台座のような跡が、もしや芋塚さんもお引越し中?
遷移中の富益神社
大工さんに聞いたら、鳥居の前の道を挟んで向かい側の神社の社務所に聞いてみてくれとのこと。
「大工さんが知らないってことは」・・・?
ますます不安になるチャリポタは、社務所前で無事な「富益の芋塚」に遭遇する!
「境内の中に最初からなかったんだ。」納得するチャリポタです。
富益の芋塚
自然石の碑面に、「井戸正明大人碑」と刻まれています。
井戸平左衛門の石見のさつま芋は、弓ヶ浜の土壌に適していたので農民たちの間に瞬く間に広まり、飢饉の時は特にこの芋は役立ち、水田の少ない弓ヶ浜で主食の代用ともなり特産品となったのです。
農民にとっては、まさに芋代官さまさまというところでしょう。
弓ヶ浜半島に昔から伝わるさつま芋を使った郷土料理「いもぼた」があります。
もち米を入れて水を加えその上にサツマイモ入れて炊いて、きな粉やあんこでまぶしたものです。
他にも「いもつるのきんぴら」、「ねぼし団子」とかいろいろあるようです。
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注)リポートには、状況やその後の考察などチャリポタの推測も含まれています。
文・イラスト/チャリポタ
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